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報恩講寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

ほうおんこうじ/報恩講寺

和歌山市大川。慈雲山。西山浄土宗法然上人二十五霊場第八番。法然が讃岐からの帰路、承元二年(一二〇八)一〇月二一日、船が風波の難に遭い大川浦の油生浜ゆうがはまに漂着して当村の長者孫右衛門宅に逗留し、念仏帰依した村人のために桜の木に自らの形像を刻み残したと伝える遺跡。『紀伊続風土記』では、漂着の時期を法然が勅免された承元元年(一二〇七)とする。御影を安置した庵は大河堂と呼ばれ、後に報恩寺と号したが、和歌山の日蓮宗報恩寺と区別するために講の一字を加えたという。寛永一一年(一六三四)梶取かんどり総持寺二二世南楚の意により、禅林寺所化俊恵を請して住職とし、総持寺の末寺となる。


【資料】『翼賛』三六、『紀伊続風土記』一(巌南堂書店、一九一〇)、『紀州海士郡大川浦慈雲山報恩講寺本尊略縁起』、『紀伊国名所図会』三下(臨川書店、一九九六)


【参考】岸信宏「紀州大川浦の報恩講寺」(『摩訶衍』一一、一九三二)【図版】巻末付録


【参照項目】➡法然上人二十五霊場


【執筆者:山本博子】