べつげ・べつぎょう/別解・別行
見解と行を別異にすること。特に凡夫の往生を認めず、浄土教の立場について見解と行法を別異にすること。善導『観経疏』散善義には「深心とは深信なりとは、決定して自心を建立して、教に順じて修行し、永く疑錯を除いて、一切の別解・別行・異学・異見・異執に退失傾動せられざるなり」(聖典二・二九一/浄全二・五七上)とある。法然は『選択集』八でこれを釈して「一切の別解・別行・異学・異見等と言うは、これ聖道門の解行学見を指す」(聖典三・一五三/昭法全三三四)としている。
【参照項目】➡異学・異見
【執筆者:大屋正順】