仮
提供: 新纂浄土宗大辞典
け/仮
みせかけだけで本質ではないこと。真・実の反対。確固とした存在性をもつと思われているが突き詰めるとその固有性が霧消してしまうようなものごとを仮有という。例えば衆生は分析すると五蘊の集成であり、衆生としての独立した特性、固有の存在性は消失してしまう。そのようなものごとは言葉だけのかりそめの存在であり、このように実体のないものを言葉で表現することを仮名また仮設、仮施設(Ⓢprajñapti)という。特に大乗の空の立場ではすべての経験されるものごとは仮設であり、われわれの経験はありもしない諸法の内実を前提とした虚構、かりそめの不真実なものに過ぎず、聖徳太子の言葉にあるごとく「世間は虚仮にして唯仏のみ是真なり」ということになる。このような反省の上から見た世界のありかたを仮という。天台宗では一念三千の理にもとづく諸法の実相をいい、万法妙有などとも説かれる。また善導は定善十三観の所観の境について真仮の別を立て、日想観、像想観等の弥陀の依正二報でない所観を仮依報、仮正報と呼んでいる(『観経疏』玄義分、聖典二・一六四/浄全二・三下)。このような対象をもつ観法を真観に対して仮観という。また仮は権、方便にも通じ、権仮、仮現、仮門などと用いる。また仮令、仮使と書いて「たとい」「もし」と読む。
【参照項目】➡仮有・実有
【執筆者:小澤憲雄】