三枝樹正道
提供: 新纂浄土宗大辞典
みえきしょうどう/三枝樹正道
明治三〇年(一八九七)二月一二日—昭和五〇年(一九七五)一一月二三日。貫蓮社徹誉然阿。字は泗水。正僧正・正司教・已講。教育学者、社会学者、宗教者。宗門功労者。生涯の大半を私学教育に捧げた。光運寺(三重県四日市市)三枝樹守道・志うの次男として生まれる。のちに尼崎甘露寺三枝樹貫道の弟子となり、佛教専門学校・第三高等学校を経て京都帝国大学哲学科に入学し、教育学・社会学を専攻して大正一二年(一九二三)三月卒業した。卒業後、私立高等家政女学校(大正一三年に四年制の家政高等女学校へ昇格)の講師に就任。翌年四月佛教専門学校講授となり、母校の運営と指導に参画する傍ら、関西大学講師を経て昭和四年(一九二九)四月に教授。同七年三月大阪下寺町大光寺に晋董。同一五年佛教専門学校教授に就任し、同二四年四月学制改革により、昇格した佛教大学の教授に就任した。同大学の昇格にあたっては献身的な努力をなし、それを機に本務を家政学園に移し、中・高等学校長となった。同二八年四月学校法人家政学園理事長に就任。同三一年四月に師籍甘露寺に転住した。同三五年四月家政学園長、家政学園短期大学初代学長・教授。同四九年佛教大学名誉教授。翌年には京都家政学園短期大学名誉学長の推挙をうけて第一線から退いた。世寿七八歳。京都府私学教育功労者賞、藍綬褒章、正五位勲三等瑞宝章受章。著書に『創造の喜び』ほか六篇、遺稿集『仏教教育論』(佛教大学、一九七九)、『三枝樹正道先生遺稿随想集』(家政学園、一九七九)、『授戒会講話 浄土へのねがい』(佛教大学、一九八七)がある。
【執筆者:三枝樹隆善】