一百四十五箇条問答
提供: 新纂浄土宗大辞典
いっぴゃくしじゅうごかじょうもんどう/一百四十五箇条問答
法然述。法然の問答のうち、念仏生活を専らにした簡潔かつ適切な答えによって知られ、親しまれている問答。対告衆はさまざまであり、他の語録には見られない問題も多く、成立過程についても不明な点もある。一四五箇条の問答のうち、唯一年号が記されている第一四〇番目の問答には「一。建仁元年十二月十四日、見参に入りて問いまいらする事」(聖典四・四七三/昭法全六六七)とあり、建仁元年(一二〇一)の年号が見られることから、これに近い年代にまとめられたとみることができる。澄円の『夢中松風論』には、「百四十五箇条」のうち、第六五・九二・九三番目の問答を引きながら、三ヶ所にわたり「百四十箇条問答」と記している。『夢中松風論』は夢窓疎石が康永三年(一三四四)に上梓した『夢中問答』への反駁書であり、著された年はこれをあまり下らないとみられる。道光による『和語灯録』のこの部分の編纂は文永一二年(一二七五)であり、澄円は道光の法系を承けついでいることから、澄円が参照していたものは一四〇箇条であったことも考えられる。義山・素中の『和語灯録日講私記』五では、この問答の成立について、その対象者が公家の女房衆であったとし、折々についての問答を集めたものとしている。これは、成立の過程に関する重要な指摘であることは確かであるが、公家の女房方と法然の問答であるとすることについては、明らかに女性からの問いと判別できるものが全体の一割ほどに過ぎない点に注意すべきである。このように成立については不明な部分の多い問答であるが、その内容の豊富さから長く親しまれてきた問答である。
【所収】『和語灯録』五、聖典四、昭法全
【参考】伊藤唯眞「法然浄土教と民俗信仰—『百四十五箇条問答』を中心として」(『法然浄土教の綜合的研究』山喜房仏書林、一九八四)
【参照項目】➡和語灯録
【執筆者:坂上雅翁】