慈悲
提供: 新纂浄土宗大辞典
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じひ/慈悲
仏や菩薩が有情を憐れみ、慈しむ心、また他者に対する共感の心情のことで、有情に楽を与える「慈」(Ⓢmaitrī)と、有情の苦を抜く「悲」(Ⓢkaruṇā)を合わせて慈悲という。ただし、資料によっては、抜苦を慈、与楽を悲とするものもある。慈の原語Ⓢmaitrīは「友」を意味するⓈmitraの抽象名詞であるから、慈とは本来「友情」を意味する。ただし、この慈としての友情は、初期仏教経典である『スッタニパータ』に「あたかも母が自分の一人息子を、命を賭けても護るように、そのように一切の有情に対して、無量の〔慈しみの〕心を起こすべし」(一四九偈)と説かれるように、ある特定の有情に対してではなく、一切の有情に対して持たなければならないものとされる。一方、悲の原語Ⓢkaruṇāは悲しみを共有することであるから、「同情」を意味することになる。初期経典ではこの慈と悲が、喜や捨とならんで四無量心(四つの量りしれない利他の心)に数えられている。大乗仏教の時代になると、単なる友情や同情という域を超え、宗教的な色彩を強く帯びるようになり、仏や菩薩の救済の根拠として位置づけられるようになる。例えば阿弥陀仏の有情救済の慈悲は、我々が他者に抱く友情や同情とは明らかに次元の違うものであり、『大智度論』は慈悲を、①凡夫が衆生に起こす衆生縁の慈悲、②声聞・独覚・菩薩が諸法無我の道理を悟って起こす法縁の慈悲、③仏が畢竟空を修行して起こす無縁の慈悲、の三つに分けている。大乗仏教の中でも、特に浄土教のような救済型の仏教において、慈悲とは特別な意味を持っており、『観経』に「仏心とは大慈悲是なり」(聖典一・三〇一/浄全一・四四)とあるように、「大慈悲」あるいは「大慈大悲」という表現で、救済者としての仏の広大な慈悲を通常の「慈悲」と区別している。
【執筆者:平岡聡】