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浄土宗法度

提供: 新纂浄土宗大辞典

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じょうどしゅうはっと/浄土宗法度

浄土宗法度』ともいう。元和元年(一六一五)に発布されたので『元和法度』『元和条目』ともいう。また三五箇条の条文からなっているので『三十五箇条法度』ともいう。諸宗寺院法度の一環として江戸幕府から知恩院増上寺伝通院に出されたものであり、浄土宗のもっとも基本的な法度とされる。この法度は宗内で先行した『檀林清規しんぎ三十三箇条』『関東浄土宗法度』などを参考にして、存応が門下の廓山に文案を起草させ、知恩院尊照と協議して、元和元年七月に幕府の認可を得て発布したものである。他宗派に出された法度と比べると、その箇条がすこぶる多く、内容も詳細をきわめている。おそらく徳川家康浄土宗寺院菩提寺増上寺大樹寺)としたためと考えられる。内容を大別すると、①末寺の統制に関する法令、②僧侶修行および位階に関する法令、③諸儀式・諸法会に関する法令、④血脈など伝授に関する法令、⑤寺院の新建・造営に関する法令、などである。この箇条の中のいくつかは、のちの寛文五年(一六六五)の『諸宗寺院法度』でもとりあげられている。家康は特に浄土宗寺院の統制については、関東十八檀林の形成に協力し、教学と修行僧侶の養成、末寺の統制に一つの形式を作っている。また、第一条の知恩院宮門跡を設置する条項は、それまで知恩院住職青蓮院から任命されていたが、宮門跡を設置することにより、浄土宗本山として知恩院青蓮院から独立させることが企図されていた。この法度は江戸時代を通して浄土宗の基本法度となっている。原本が知恩院増上寺に現存している。


【参考】『増上寺史』(増上寺、一九七四)、『知恩院史』(知恩院、一九三七)


【参照項目】➡檀林清規三十三箇条関東浄土宗法度


【執筆者:宇高良哲】