一行三昧
提供: 新纂浄土宗大辞典
いちぎょうざんまい/一行三昧
法界の一相に観念を集中すること、あるいは一仏の名を称えることに専念すること。一相三昧、一荘厳三昧ともいう。天台の『摩訶止観』二上では四種三昧の中の常坐三昧を一行三昧という。これは『文殊師利問経』に立脚しているもので坐禅の一行に専注することをいうのであるが、『文殊説般若経』では、心を一仏にかけてもっぱら名字を称えることを一行三昧と名づけるとし、天台の湛然は『止観輔行伝弘決』において阿弥陀一仏の名を専称することであると解釈している。浄土宗では南無阿弥陀仏の一行、すなわち口称の一行に専注することを一行三昧という。法然が、『選択集』において、聖道門を選捨して浄土門を選取し、雑行を選捨して正行を選取し、助業をかたわらにして正定業をもっぱらにすることを強調し、正定業とは口称の一行であるとし、三心も五念も四修もみな南無阿弥陀仏の一行に結帰することを主張してから以後、結帰一行三昧が浄土宗義の肝要とされるようになった。
【資料】『安楽集』下、『授手印』、『往生礼讃私記』上
【参照項目】➡結帰一行三昧
【執筆者:金子寛哉】