覚った仏智をもって見ると、迷える衆生の生死輪廻の世界が、そのまま不生不滅の清浄な涅槃の境地であるという意。「煩悩即菩提」と対句で用いられることが多い。曇鸞は『往生論註』下に「一道とは一無礙道なり。無礙とは謂く生死即ち是れ涅槃なりと知るなり。是の如き等の入不二の法門は無礙の相なり」(浄全一・二五五上)と述べ、法然は『往生大要抄』に「天台宗には〈煩悩即菩提生死即涅槃〉と観じて、観心にて仏に成ると習うなり」(聖典四・三〇〇/浄全九・四八一下)と述べている。
【参照項目】➡即、煩悩即菩提
【執筆者:佐藤堅正】