即
提供: 新纂浄土宗大辞典
そく/即
二つの異なった性質の事象が、その差異を残しつつ一体化していること。不一不異、不二、不離であることなどの意。相即ともいう。『般若心経』の冒頭にある「色即是空、空即是色」(正蔵八・八四八下)の「即」はこの意味であり、「色は即ち是れ空なり、空は即ち是れ色なり」と読む。吉蔵撰と伝えられる『大乗玄論』一(正蔵四五・二一下)では、即には、即是の即、つまり二つの事象が一体で不二の関係であるものと、不相離の即、つまり二つの事象の体は別であるが、相離れない関係にあるものの二種の意味があるとしている。またこの関係を時間的な視点からみると、時間的隔たりのないものを同時即といい、時間を隔てた不可離な関係を異時即という。即は中国仏教において盛んに用いられ、重要かつ多様なありかたとして説かれた。華厳宗においては現象世界の事事物物が相即(一体化)し、相入(さまたげない)するとし、同体門、異体門それぞれに相即相入をたて、体の空・有について、一即十・十即一、一即多・多即一を説く。天台宗ではあらゆる存在が三千の諸法を欠くことなく備えているため、体そのものとしては仏・衆生とも同等であるが修行階梯の差ということから、理即・名字即・観行即・相似即・分証即・究竟即の六即をたてる。浄土教義においては、しばしば即得往生、即得無生、即便往生などとして即を用いている。
【資料】『維摩経』、『摩訶止観』
【参照項目】➡相即相入、即得往生、不二、生死即涅槃、煩悩即菩提
【執筆者:薊法明】