大治元年(一一二六)—文治五年(一一八九)七月二五日。鳥羽天皇の第二皇女。母は待賢門院藤原璋子。幼名を統子内親王と称す。保元三年(一一五八)後白河天皇の准母となり、翌年上西門院の院号宣下をうけた。上西門院は法然に深く帰依し、治承三年(一一七九)には法然から七ヶ日説戒を受けた。後白河法皇に六尺阿弥陀仏像を献上したとされる。和歌を好み、女流歌人としても有名である。
【資料】『四十八巻伝』七(聖典六)、『私日記』(法伝全)、『翼賛』七(浄全一六)、『玉葉』二一(国書刊行会、一九〇六)
【執筆者:笠島崇信】