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三時

提供: 新纂浄土宗大辞典

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さんじ/三時

仏教の時代観で釈尊入滅後の時代を正法像法末法三時に区分したもの。時代が下るにつれ、教(教説)・行(実践)・証(さとり)が徐々に失われていくという説。すなわち、①正法時は教・行・証が具わった時代、②像法時は証が欠けるが、教・行が存続する時代、③末法時は行・証が欠け、教のみ残る時代である。各時代の長さには諸説あるが、正法五百年・像法千年・末法万年説が主流である。


【参照項目】➡末法五五百年


【執筆者:大屋正順】


晨朝じんじょう日中日没にちもつをいう。一日を六つ(六時)に分けた中の、昼の三時をいう。特に、昼に行う三時(座)の勤行式をいう。初夜中夜後夜を夜の三時として区別している。『七箇条制誡』には「我が身をもことに浄めて道場に入りて、あるいは三時、あるいは六時なんどに念仏すべし」(聖典六・二九四/昭法全八一三)とある。観随『蓮門六時勤行式』には、「例時の勤行は必ず大師の令範に準じ、堅く国師の芳躅を護りて」(一オ)とあり、六時勤行を修すべきであるとしている。実際には『浄土寺院朝夕勤行回向文』あるいは『日用念誦』の晨昏礼誦に説かれるような、二時三時勤行が多く、祐海『在家朝夕看経かんきん式』にも「道俗ともに縁務繁きは多くは二時なり」(『祐天寺史資料集』四上・四六四、祐天寺、二〇〇七)とある。


【参照項目】➡六時


【執筆者:清水秀浩】