三経説時前後
提供: 新纂浄土宗大辞典
さんぎょうせつじぜんご/三経説時前後
「浄土三部経」が説かれた順序についての解釈。良忠『東宗要』五に「問う、三経の説時前後如何。答う、異義有りと雖も、祖師の意に任せば寿、観、弥陀の次第なり」(浄全一一・一〇九上)とあるように、諸説あるが法然の釈義としては『無量寿経』『観経』『阿弥陀経』の順に説かれたとする。その釈義とは、まず『無量寿経』と『観経』の前後については、廬山寺本『選択集』に伝わる文章として、第一二章の中で『無量寿経』と『観経』の説時の前後に関する問答があり、そこには「問うて曰く、双巻観経二経の前後、互いに是非有りて、古今諍論せり。然るに今何の決智を得て、寿経の前説を定めんや」(昭法全三四二)として『無量寿経』の異訳である『大阿弥陀経』の中に阿闍世王太子和久という語句が出てくることを挙げ、未だ阿闍世が王子である『観経』の方が先に説かれたのではないかという疑難に対して、①「仏と行者との修因感果の理」として『無量寿経』には法蔵菩薩から阿弥陀仏への酬因感果が説かれるのに対し『観経』では行者の修因感果が説かれるので、寿前観後であるとする説。②「仏身観の中の念仏衆生の理」として『無量寿経』には念仏の行相が細かに説かれるが、『観経』では行相が説かれない。先に行相を知らなければ念仏は称えられないので寿前観後であるとする説。③「法蔵比丘四十八大願等の理」として『観経』の華座観と中品下生の中に法蔵比丘の四十八願について説いているので、その四十八願の内容を説く『無量寿経』の方が先に説かれたとする説。以上の三つの道理を挙げ、『無量寿経』が先で『観経』が後に説かれたと解釈している(『東宗要』には広本選択集として同文を掲載。浄全一一・一一〇上)。なお同様の釈義は『観無量寿経釈』(昭法全九七~八)にも見られる。次に『阿弥陀経』については、『阿弥陀経釈』の中に「上の観経の中に、始めには広く諸行を説きて、遍く機縁を逗じ、後には諸行を廃す、只、念仏一門なり。然るに猶お、彼の経、諸行の文は広く念仏の文は狭し。初心の学者、迷い易く、是非決し難し。故に今、此の経、諸行往生を廃す。復次に、但念仏往生を明かす。念仏の行に於いて、決定の心を生ぜんがためなり」(昭法全一三三)とあるように、念仏一行のみを説く『阿弥陀経』が後に説かれたとする。しかし近代の研究によれば、実際の史実的状況は、思想内容より考慮すれば『観経』が最も成立の新しいものであると考えられている。
【執筆者:兼岩和広】