想念を起こして観察すること。『観経』では「汝および衆生、まさに心を専らにして、念を一処に繫かけて、西方を想うべし。云何が想を作なさん。およそ想を作なすとは、一切衆生、生盲にあらざるより、目ある徒ともがら、皆日の没するを見よ。まさに想念を起こして、正座して西に向かい、諦かに日を観ずべし」(聖典一・二九二~三/浄全一・四〇)として、想念を起こして観ずることとされている。曇鸞も『往生論註』下で「毘婆舎那を訳して観と曰う。…ここに在りて想を作して彼の三種の荘厳功徳を観ず」(浄全一・二三九下)と同様の解釈をしている。
【執筆者:曽和義宏】