一六世紀後半から一七世紀前半頃、生没年不明。現在の名古屋市に生まれ、一四歳のとき増上寺二〇世南誉雪念に師事し、修練を重ね三蔵に通じた。鎌倉円覚寺で禅関ぜんかんを開いたある夏、『碧巌録』を講義したところ諸宗の学侶が雲集したという逸話がある。また尾張大納言の厚い帰依を受けた。晩年は病のため故郷に帰って隠棲し、称名念仏の中で臨終をむかえた。
【資料】『鎮流祖伝』七(浄全一七)
【執筆者:大屋正順】