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玄奘

提供: 新纂浄土宗大辞典

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げんじょう/玄奘

隋・仁寿二年(六〇二)—唐・麟徳元年(六六四)二月五日。鳩摩羅什くまらじゅう真諦しんたい不空ふくうと並ぶ中国の四大翻訳家の一人。慈恩三蔵、遍学三蔵と称される。洛州(河南省)の人。大業一〇年(六一四)洛陽出家。隋末の戦乱を避けて長安・成都に移り、摂論学派の道基から『摂大乗論』を学ぶ。具足戒を受けた後、相州・趙州・長安高僧を歴訪するも、当時の唯識解釈に疑念を抱き、貞観元年(六二七)『瑜伽論』を求めてインドへ旅立つ。カシュミールで説一切有部の僧称(ⓈSaṅghakīrti)に『俱舎論』等を二年間学び、ナーランダーで瑜伽行派の戒賢(ⓈŚīlabhadra、五二九—六四五)に『瑜伽論』等を五年間学ぶなど各地で研鑽を積み、貞観一九年(六四五)長安に帰る。一九年にわたる西天取経の旅は『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』や『大唐西域記』に詳しい。帰国後は太宗・高宗の勅許を得て、弘福寺・大慈恩寺・西明寺・玉華寺等で、『瑜伽論』『解深密経』『摂大乗論』『成唯識論』等の唯識経論、『俱舎論』『大毘婆沙論』等のアビダルマ論書、『般若心経』『大般若経』等の般若経典など、七五部一三三五巻の仏典を翻訳した。その数はすべての漢訳仏典の約四分の一に相当する。翻訳文は原文に忠実といわれ、以後の模範となった。玄奘以前の翻訳を旧訳くやく、以後を新訳と称する。玄奘門下には、唯識宗(慈恩宗)の初祖となった基のほか、円測・普光・神昉・嘉尚など数多の俊才が輩出し、唯識・俱舎・因明の学問が盛行した。


【参考】桑山正進・袴谷憲昭『人物中国の仏教玄奘』(大蔵出版、一九八一)


【執筆者:吉村誠】