久遠実成
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:22時点における192.168.11.48 (トーク)による版
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くおんじつじょう/久遠実成
釈尊が永遠の過去においてすでに成仏し、この世に常住し、衆生に教化を及ぼしたこと。久遠成実、久成正覚、過去久成ともいう。今世で、はじめて成仏したことを意味する始成正覚に対する語。『法華経』寿量品に、「然るに、われは実に成仏してよりこのかた、久遠たることかくのごとし」(正蔵九・四二下)とある。『法華経』の始・久の両意になぞらえ、後世の一部の注釈家は『無量寿経』に説かれた「成仏よりこのかた、およそ十劫を歴たまえり」(聖典一・二三六/浄全一・一二)の一句に対し、阿弥陀仏も「久遠の弥陀」と「十劫の弥陀」の両意を有するとし、「十劫」ではすでに成仏の久遠を語り、十劫即久遠、久遠即十劫であって、両者はともに真実であるとすべきであると主張した。親鸞が『浄土和讃』で「久遠実成阿弥陀仏」(正蔵八三・六五八下)と語り、顕意の『竹林鈔』に、「三世諸仏の正覚は皆十劫正覚の阿弥陀仏と成也」(正蔵八三・四七五下)とあるのがそれである。
【参考】中村元他訳注『浄土三部経』(岩波書店、一九九〇)
【参照項目】➡久遠の弥陀
【執筆者:林鳴宇】