—元禄元年(一六八八)。大坂の人。俗姓は豊臣氏。初め増上寺に入り修行に励み宗義を学んだ。聡明で、法門に広く通じ、人々はその徳風に従ったという。諸国を遊歴して、晩年山城国伏見(京都市伏見区)に棲止して、八〇歳頃十念を称えながら寂した。臨終の際に自分は豊臣秀頼の二男であることを明らかにし、二歳のときに江戸城下に住み、先亡の霊のために修学し、晩年有縁の地である大坂に住する意を悟ったという。
【資料】『鎮流祖伝』八(浄全一七)
【執筆者:田中芳道】