阿弥陀二十五菩薩来迎図
提供: 新纂浄土宗大辞典
あみだにじゅうごぼさつらいこうず/阿弥陀二十五菩薩来迎図
阿弥陀仏が二五の菩薩とともに来迎する様を描いた図。経典のなかに、往生人の臨終にあたって二十五菩薩が来迎するという教説は存在しないが、『十往生阿弥陀仏国経』にはこの経を信ずる者を二十五菩薩が護持するとの記述がある。源信はこの教説を『往生要集』のなかで、念仏の利益として説示したが、その後の浄土信仰の高まりのなかで、二十五菩薩は特に来迎の菩薩を指すものとして理解されていった。現在は、多くの聖衆が来迎する様を描いた阿弥陀聖衆来迎図のなかで、特に二十五菩薩を意図して描いたものを阿弥陀二十五菩薩来迎図とよんでいる。なお、二十五菩薩の名称と持物を明記する伝源信『二十五菩薩来迎和讃』は、鎌倉時代以降の成立と考えられている。代表的作例としては、早来迎の通称で知られ、桜の咲き乱れる急峻な山岳を駆け下りるように来迎する姿を描いた知恩院本(国宝)、彼方から高峰をめぐって来迎する姿を描いた小童寺本(国重要文化財)、聖衆の激しい身振りの舞踊が特徴的な新知恩院本(国重要文化財)などが知られる。これらは共に鎌倉時代の作で、それぞれ、日本人古来の生死観を反映した美しい自然風景と、音楽を奏で舞踊しながら来迎する聖衆の姿を融合させた、願わしい臨終の場面を表現している。一方、京都禅林寺本(国重要文化財・鎌倉時代)は構図中に阿弥陀三尊の姿を見いだせず、動勢をほとんど伴わない立ち姿の菩薩衆を画面全体に漂うように描き、背景に自然風景の描写を伴わない点が、他の作例と一線を画す。同寺には善導像を安置したと伝える厨子の扉絵にも同様に自然風景の描写を伴わず動勢の少ない二十五菩薩を描いたもの(国重要文化財・鎌倉時代)が存在するが、これらには、二十五菩薩の行者擁護の経説を重んじた永観の思想の反映が指摘されている。このほか、彫刻による作例として、京都即成院には、木造の阿弥陀二十五菩薩来迎像(一部国重要文化財・平安時代)がある。
【参考】浜田隆『日本の美術』二七三・来迎図(至文堂、一九八九)、内田啓一監修『浄土の美術』(東京美術、二〇〇九)【図版】巻末付録
【参照項目】➡阿弥陀来迎図、阿弥陀聖衆来迎図、二十五菩薩、早来迎
【執筆者:若麻績敏隆】