仏の相好や浄土の様子を心にこらし、その姿や相を想い描くこと。また、特に浄土教では阿弥陀仏の姿やその功徳、さらには浄土の具体的様相を想起する観法の一つ。観想念仏のこと。称名念仏に対することば。法然は『一枚起請文』において、選択本願による称名の一行を勧進し、その書の中で示す「只一向に念仏すべし」という念仏を「観念の念にも非ず」と明言し、自身が提唱する念仏が観念の念仏とは異なることを示している。
【参考】和田典善「観想と観相—『往生要集』とその撰述前後の浄土教典籍を中心に—』(『仏教文化研究』五三、二〇〇九)
【参照項目】➡観想念仏、観仏三昧
【執筆者:和田典善】