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観称勝劣

提供: 新纂浄土宗大辞典

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かんしょうしょうれつ/観称勝劣

念仏において、仏の姿を想いうかべる観想念仏と、仏の名を称える称名念仏のいずれかが勝れ、いずれかが劣っていることをいい、観称優劣ともいう。また、特に『四十八巻伝』六に見られる法然叡空との議論を指すことがある(聖典六・五七~八/法伝全二四)。日本浄土教思想史において、法然以前を代表する源信の『往生要集』では、往生の業として念仏が勧められるものの、これは天台教学を背景とする仏の姿形を観じる観想念仏を中心とするものであり、称名は観想の能力のない者のために勧められる。しかし、法然は仏の名を称える称名念仏阿弥陀仏本願の行であり、往生の業としては観想念仏に勝るという立場をとる。さらに『選択集』三では、勝劣・難易の二義を展開して、阿弥陀仏本願である口称念仏が、観想念仏はもちろん余行にも勝るとして、念仏の絶対性が主張される。


【参照項目】➡勝易念仏勝劣の義難易の義


【執筆者:市川定敬】