大鹿愍成
提供: 新纂浄土宗大辞典
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おおしかみんじょう/大鹿愍成
安政四年(一八五七)—大正一四年(一九二五)一一月一八日。広蓮社深誉心阿。字は無涯底。金戒光明寺六二世。尾張国海部郡神守村字宇治(愛知県津島市神守町)に大鹿良造の四男として生まれる。増上寺学寮で宗乗・余乗を学び、宗戒両脈を相承。その後上洛し、泉涌寺の佐伯旭雅のもとで俱舎・唯識を、さらに大和長谷寺の学寮で性相の学を修めた。特に、因明と唯識に精通し、唯識の権威と讃えられた。明治一八年(一八八五)に岡崎随念寺の住職となるも、同二〇年東京に浄土宗学本校の開校にあたり教授に就任した。同三一年京都に浄土宗専門学院が創立した際には唯識部教授として就任し、さらに同三八年には宗教大学教授、同四四年には宗教大学学長を歴任するなど、東西で宗学の発展に尽力した。大正三年(一九一四)に学長を辞して、同七年には金戒光明寺六二世に就任する。法主就任後も比叡山大学や京都帝国大学で唯識・因明を講じた。著書に『選択集聴講記』『成唯識論述記』『因明学大意』などがある。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:齋藤知明】