琳瑞
提供: 新纂浄土宗大辞典
りんずい/琳瑞
天保元年(一八三〇)一二日一〇日—慶応三年(一八六七)一〇月一九日。号は祥道。幕末の律僧、勤皇僧。出羽国村山(山形県西村山郡河北町)の生まれ。幼名房蔵。弘化三年(一八四六)桑折無能寺の琳道に随い出家。嘉永二年(一八四九)福田行誡に随って伝通院で修学。安政四年(一八五七)に伝通院内処静院二世となり、処静院を律院とする。持戒堅固にして道俗の信仰を集め、また愛国の念強く高橋泥舟や山岡鉄舟等の勤皇志士とも親交を結ぶ。志士の意見を大老井伊直弼に直接伝えるなど佐幕派と倒幕派の間に立って折衝に努めたが、そのために刺客の手にかかり命を落とした。
【参考】大橋俊雄『祥道琳瑞和上』(浄土宗史研究会、一九六一)
【執筆者:朝岡知宏】