了暁
提供: 新纂浄土宗大辞典
りょうぎょう/了暁
一五世紀末頃、生没年不明。聖蓮社慶善。飯沼弘経寺二世。和泉の人。聖聡について修学し、白旗の口伝を整理した。さらに聖聡の『教相切紙拾遺徹』に『六十華厳』の文を加筆し、奥書に聖聡の「夢記」の内容を記してその確かさを実証するなど、了暁は聖聡の高弟の一人であったことがわかる。のち良肇についで弘経寺二世となる。文明九年(一四七七)には弘経寺を酉冏に譲って三河に進出し、御津に大運寺(現・大恩寺)を創建した。明応二年(一四九三)には紫衣の綸旨を賜り、白旗派発展への足がかりを作った。弟子には愚底、珠琳、訓公、存冏などの名僧が多く、三河経由で白旗派を京都に移し、浄土宗教団発展に尽くした功績は大きい。
【資料】『飯沼弘経寺文書』、『飯沼弘経寺志』(浄全一九)、『大恩寺文書』、『教相切紙拾遺徹』(浄全七)
【参考】玉山成元『中世浄土宗教団史の研究』(山喜房仏書林、一九八〇)
【執筆者:笠島崇信】