—正徳二年(一七一二)七月七日。随誉。伊勢国山田地方の曼荼羅研究者の一人。伊勢国入門寺の法誉について得度、一二歳で師と死別し、師の遺言に従い遊方し、江戸幡随院で研鑽。諸師の曼荼羅に関する著書を尋ねる。師の法誉を開山として自らは伊勢国に曼荼羅寺を建立し、二世となった。常に曼荼羅を讃称礼誦した。世寿八〇歳。著書に曼荼羅に関する所説を正した『曼荼羅捫象ぼんぞう』一四巻、『一枚起請文燕泥えんでい』がある。
【資料】『略伝集』(浄全一八)、大島泰信『浄土宗史』(浄全二〇)
【執筆者:田中芳道】