瞑想
提供: 新纂浄土宗大辞典
めいそう/瞑想
心を静めて祈ったり、心を一つに集中させたりすること。西洋ではカトリック、プロテスタントともに用い、沈黙のうちに精神集中して祈る念禱をいう。東洋では、ヒンドゥー教、仏教、道教などの修行法として用いられている。しかし、伝統的な仏教ではこの語句はほとんど用いられない。近代になって禅やチベット仏教、ヨーガなどが西欧に紹介されると、その実践がcontemplation、meditationとして理解され、その訳語として瞑想と呼ばれるようになった。ヨーガには、瞑想に次の三つの段階を設けている。①凝念(Ⓢdhāraṇa)心を一つのことに専注すること。②静慮(Ⓢdhyāna)心を静め、澄みきった状態にすること。③三昧(Ⓢsamādhi)意識を消し、対象だけを浮かび上がらせること。仏教の行法としての瞑想と、これらヨーガとの関連を指摘する説もある。仏教の瞑想は、宗派によってさまざまであり、密教では観察と呼び、瞑想を通して仏や仏の世界を見るものと考える。また、禅宗では、一切の妄念を払い、空の状態に入ることを目指す。
【参考】山折哲雄監修『世界宗教大事典』(平凡社、一九九一)、中村元他編『岩波仏教辞典』(岩波書店、一九八九・二〇〇二)、大貫隆他編『岩波キリスト教辞典』(同、二〇〇二)
【執筆者:髙瀬顕功】