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無知

提供: 新纂浄土宗大辞典

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むち/無知

知がないこと、あるいは知らないこと。Ⓢajñānaの訳語。痴(Ⓢmoha)、無明(Ⓢavidyā)などとほぼ同意語であり、断ずべきものとされる。『俱舎論』では「諸の無知は、よく実義を覆い、および真見を障るをもってのゆえに、説いて冥となす」(正蔵二九・一上)といわれ、無知は冥すなわち暗闇であるとされる。この無知には染無知(あるいは染汚ぜんま無知)と不染無知(あるいは不染汚無知)の二種類がある。染無知とは汚れた無知のことで、煩悩としての無知、すなわち無明のことといえる。不染無知は、汚れていない無知、あるいは劣った慧とされる。この不染無知は、汚れてはいないものの、仏のみが具える徳(十八不共法)などについて、明らかに知ることができない無知のこととされる。このような染無知と不染無知について、声聞独覚は染無知のみしか断じていないが、仏は二つの無知を完全に断じているとされる。


【資料】『俱舎論』一


【参照項目】➡無明


【執筆者:石田一裕】