善悪や是非を顧みない悪人のこと。曇鸞『往生論註』上に、難行では悟りを得るのが難しい理由の一つとして「無顧の悪人、他の勝徳を破す」(浄全一・二一九上)と述べ、これを良忠『往生論註記』一では「無顧とは是非を顧みざるの悪人なり。是の如くの悪人は則ち退縁を成ず」(浄全一・二六一上)と釈している。『論註』ではこのような悪人のいる五濁の悪世においては、自ら修行し、自らの力で悟りを得ることは難しいとしている。
【資料】『往生論註』上、『往生論註記』一(共に浄全一)
【執筆者:石川琢道】