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満光寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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まんこうじ/満光寺

長野県伊那市高遠町西高遠。親縁無量寿院。長野教区№二〇五。伊那四五番札所。天正元年(一五七三)に知恩院直末として生蓮社笈往が開山触頭ふれがしら寺院であった。一時期、浄土寺と称したが、享保一八年(一七三三)正月四日から再度旧号に戻した。一四世遺誉代、堂宇の再興の折、しなの木をもって造営されたことから信濃の科寺と呼ばれ、善光寺を模して造営されたことから、伊那の善光寺とも呼び伝えられた。庭園にある樹齢数百年の古松は、城主武田信綱が兄信玄の遺命によって城中の黒松の盆栽をここに移植したと伝えられ、極楽松と呼ばれている。本尊阿弥陀如来快慶作と伝えられる。高遠藩主内藤家累代の墓所、保科正光の養子左源太の墓などがある。


【参考】『高遠町史』(高遠町、一九八三)


【執筆者:笠島崇信】