煩悩がそのままさとりの縁となること。原始仏教や部派仏教では、煩悩と菩提は対立的に捉えられたが、大乗仏教において煩悩も菩提(さとり)も空であり、本来は不二で相即していると説かれるようになった。さとりの面から捉えれば煩悩も真如の現れであり、それを離れてさとりはないということになる。大乗仏教の一思想表現として「生死即涅槃」と併称される。『大乗荘厳経論』六に「法性を離れて外に諸法あることなきにより、是の故に是の如く説く、煩悩即菩提なりと」(正蔵三一・六二二中)とある。
【参照項目】➡即、煩悩、生死即涅槃
【執筆者:大屋正順】