仏陀
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ぶっだ/仏陀
「目覚める(Ⓢ√budh)」という動詞の過去分詞「目覚めた」が名詞化されて「目覚めた人」、すなわち「迷いの眠りから覚めた人」を意味する。ⓈⓅbuddhaの訳。これを音写して仏陀あるいは仏となり、意訳すれば「覚者」となる。古くは浮屠・浮図と音写され、仏駄・没駄・歩他ともつくる。この語は一般に「真理に目覚めた釈尊」の意味で用いるが、しかしこれは仏教に固有の用語ではなく、古代インドにおいて、ウパニシャッドや叙事詩に登場する聖者やジャイナ教の聖仙も「ブッダ」と呼ばれており、仏弟子のサーリプッタ(舎利弗)もジャイナ教の文献では「ブッダ」と呼ばれていた。仏教内部の文献では、最初期の段階は、仏弟子も「ブッダ」と呼ばれていたことが確認されている。それは初期仏教経典中でも古層に属する韻文経典に、仏弟子のことを「ブッダ(釈尊)に従って覚った者(Ⓢbuddhānubuddha)」という表現が見出せることによる。しかし、教団の組織化に伴い、「ブッダ」という呼称は釈尊に限定した用語となり、後にはサーリプッタやマウドガリヤーヤナ(目連、目犍連)といった高弟でさえも「ブッダ」と呼ばれることはなくなった。初期経典中で「仏(ブッダ)」と言えば、それは基本的に「釈尊」その人を指す固有名詞であるが、大乗仏教の時代を迎えると、この用法に変化が現れ、釈尊以外にも多くの現在仏が登場するようになる。阿弥陀仏、阿閦仏、毘盧遮那仏などがその代表例であるが、これには世界観の発達が影響している。初期仏教以来、一つの世界に二人の仏は出現しないという「一世界一仏論」の考えがあり、これに従えば、釈尊の滅後、次の仏である弥勒仏が現れる五六億七千万年先までは無仏の世となる。しかし、真摯に仏の出現を切望した当時の仏教徒は世界観を発展させ、この世以外にも世界があると考えることで、「一世界一仏論」に抵触することなく、数多くの現在多仏を発見していったのである。
【執筆者:平岡聡】