正しい覚りを得ないこと。四十八願の一々の末尾に付せられた語であり、法蔵菩薩が、自ら立てた誓願が成就するまで完全なる覚りの境地に入らないことを表明した語。『無量寿経』と『無量寿如来会』に見られる表現で、『大阿弥陀経』では「終不作仏」、『平等覚経』では「我不作仏」という語が用いられる。また『無量寿荘厳経』では、一切衆生を覚らせるまで、自らも覚りの境地に入らないという表現をとる。梵語では誓願が叶うまでの間、正しい覚りの境地に入ることがないようにとなっている。
【執筆者:石田一裕】