福田循誘
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ふくだじゅんゆう/福田循誘
嘉永二年(一八四九)一一月二〇日—大正四年(一九一五)二月二七日。善蓮社人誉。武蔵国小石川同心町(東京都文京区小石川)に岡田多膳の次男として生まれる。幼名は錦之丞。安政六年(一八五九)四月八日、福田行誡が住す小石川伝通院清浄心院で得度し、行誡の師慧澄より循誘の名を授かった。慧澄から天台を学び、浅草寺昭舜、比叡山覚宝から求寂戒を受け持律堅固に行誡に常随して仕え、のちに法灯を継ぎ福田姓を名乗った。明治三年(一八七〇)伝通院学寮主、同一七年に深川本誓寺(東京都江東区清澄)の住職となり、同二一年行誡が亡くなると、行誡の在家信者である静岡市渡辺家と協力して、不去来庵を建立し多数の遺物を託している。能書家として名高く『浄土宗全書』(初版)の題字をはじめ、碑文等に手跡が残っている。大正四年二月二七日入寂。
【資料】『平成新修福田行誡上人全集』別巻一(USS出版、二〇一〇)
【参考】大橋俊雄『行誡上人の生涯』(東洋文化出版、一九八七)
【執筆者:福田行慈】