長谷川順孝
提供: 新纂浄土宗大辞典
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はせがわじゅんこう/長谷川順孝
明治二二年(一八八九)二月二二日—昭和四五年(一九七〇)一二月二一日。聴蓮社教誉入阿。字は如牛。愛知県愛知郡愛知町(現・名古屋市)に出生し、大阪小橋町成道寺の長谷川順道について出家得度。大正三年(一九一四)成道寺に晋董。翌四年大阪四恩報答会を組織し、毎月天幕演説を催し、歳末の慈善事業等を行う。さらに同七年浄土宗お伽団を結成、同九年四恩学園を創設、同一四年には累徳文殊園(後の累徳学園)園長に就任するなど児童教化に尽力した。こうした社会事業の功績が認められ、昭和四二年(一九六七)勲五等瑞宝章を受章。また、大阪布教団理事、大阪普通教習所講授、総本山知恩院布教師、大阪普通宗学院首席講授、百万遍知恩寺顧問、大阪浄土教校長等宗門の要職を歴任したほか、光明会の信仰に篤く、全国光明会連合本部理事長も務めた。
【参考】藤野福雄・奥野しげる編『和顔愛語』(長谷川順孝先生児童教化五十年記念会、一九五七)、大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【参照項目】➡四恩学園
【執筆者:曽田俊弘】