仏道修行の乏しい僧の意。良忠『玄義分略鈔』一に「沙門とは梵語なり。…此には勤行とも勤息とも善覚とも苦労とも貧道とも翻す。是れ出家の都名なり」(浄全二・四四二上)とある。通常は、出家者が自らのことを卑下して用いる謙称である。『選択集』末尾には、「ここにおいて貧道、昔この典を披閲ひえつしてほぼ素意を識さとり、立ちどころに余行を捨てて、ここに念仏に帰す」(聖典三・一九〇/昭法全三四九)という自身を顧みた法然の言葉がある。
【執筆者:安孫子稔章】