広谷
提供: 新纂浄土宗大辞典
ひろだに/広谷
京都府長岡京市粟生付近。法然が浄土開宗後に比叡山を下山して、はじめに止住した西山の地。遊蓮房円照の庵室があり、法然は遊蓮房と同宿したと考えられる。この庵室は遊蓮房が善峰に移った後は法然に譲られ、さらにその後、東山の地に移築されて吉水中ノ坊と称された。『円光大師御伝随聞記』三では粟生光明寺の後方一四~五町で、丹波街道の沓掛の乾(北西)に当たるという。しかし、『山州名跡志』一〇では多年調査の結果、貞享(一六八四—一六八八)の初め頃、光明寺の後方の山に位置する、法然の廟所から申(西南西)の方へ四町ほどの、傍らに池の形がある平所と判明し、以後光明寺の知るところとなったという。『拾遺都名所図会』三では奥海印寺より光明寺に至る道に旧跡の碑が建っていると記す。『翼賛』四九では『知恩寺旧記』を引いて当地が万里小路殿の所領であったことを記す。
【資料】『四十八巻伝』六、『翼賛』六、『山州名跡志』(『新修京都叢書』一五、臨川書店、一九六九)、『拾遺都名所図会』(『新修京都叢書』七、同、一九六七)
【参考】伊藤唯眞「遊蓮房円照と法然の下山」(『聖仏教史の研究』上「伊藤唯眞著作集」一、法蔵館、一九九五)
【執筆者:山本博子】