享保六年(一七二一)—明和九年(一七七二)四月一七日(一八日とも)。昇蓮社騰誉。生国は肥後国熊本、氏姓は不詳。同地の阿弥陀寺で剃髪後、増上寺で修学、円海(後、鎌倉光明寺七一世)に師事した。内外典に通じ漢詩の才に秀でた。増上寺四六世定月の信任を得て、明和元年(一七六四)一二月二日増上寺役者に入役、同九年四月六日退役、同月一七日没した。
【資料】『略伝集』(浄全一八)、『三縁山志』(浄全一九)
【参考】『大本山増上寺史・本文編』(大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:中野真理子】