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洞泉寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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とうせんじ/洞泉寺

愛知県豊田市小坂町。霞渓山紫雲院。三河教区№一六四。創建当時は法相宗寺院であり、後に天台宗改宗していたが建武の兵乱以降衰微、永享年間(一四二九—一四四一)に再興されたと伝える。寛正元年(一四六〇)清嘆が再興、浄土宗改宗開山となる。また、当初は上伊保の霞渓にあったが一五世紀半ばに挙母ころもへと移転、西三河の念仏道場となる。当時は水害に悩んでいたが天明五年(一七八五)一九世信海が内藤学文の援助により寺基を現在地に移転、中興した。


【資料】『飯沼弘経寺志』(浄全一九)


【参考】豊田市教育委員会編『豊田市史文化資料』社寺編一(豊田市教育委員会、一九七〇)


【執筆者:朝岡知宏】


岐阜県郡上市八幡町尾崎町。松峰山。岐阜教区№二二。慶長七年(一六〇二)美濃国八幡藩主遠藤慶隆は重臣たちが念仏する姿を見てその宗旨を尋ねたところ、郡上に浄土宗寺院がないことを知った。翌年、家老に命じて本寺を建立し、阿弥陀如来の腹部に聖徳太子一刀三礼の立像を安置、岐阜矢島本誓寺より心蓮社三誉を招き開山とした。城主自ら帰依したこともあり、一般民衆の信仰も厚かったという。宝暦八年(一七五八)青山幸道が八幡藩に国替されてからは、青山家の菩提寺となる。日本三大盆踊りの一つである郡上ぐじょう踊りは、本寺境内でも行われる。


【資料】太田成和編『郡上八幡町史』下(臨川書店、一九八七)、『蓮門精舎旧詞』四三(続浄一九)


【執筆者:伊藤瑛梨】