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天然寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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てんねんじ/天然寺

秋田県由利本荘市日役町。法爾山唯称院。秋田教区№一三。開山は万誉良念。永禄年間(一五五八—一五七〇)由利郡赤宇津松ヶ崎村(由利本荘市)に庵を結んだのがはじまり。この後楯岡満茂の新たな城下建設にともない、元和八年(一六二二)五世寂誉のとき現在の日役町子吉川河畔へ移転した。天然寺も含め四箇寺が並ぶこの地は、本荘藩(六郷氏)の亀田藩(岩城氏)に対する防衛施設としての役割もあったといわれている。延宝元年(一六七三)一一世体誉玄外のときに、増上寺二四世露白より増上寺の直末寺院たる許書と金襴五条衣を拝領している。以降本荘藩の触頭ふれがしら寺院に任命され興隆する。


【資料】『出羽国由理郡本庄四箇寺由緒書』(『本荘市史』史料編Ⅳ、本荘市、一九八八)


【執筆者:渡部伸一】


静岡県掛川市仁藤町。泉洞山。静岡教区№一二九。掛川市結縁寺出身の秀誉により明応三年(一四九四)開創。六世三甫徳川家康帰依が篤かったので、当寺には家康の母である伝通院殿の尊牌が安置された。明和二年(一七六五)諸堂を焼失。安永三年(一七七四)本堂庫裡を再建するも、安政元年(一八五四)の地震で諸堂全潰。江戸時代にオランダ使節であったゲイスベルト・ヘンミイは徳川家斉に謁見後、長崎へ帰る途中に掛川宿で客死し、天然寺埋葬された。


【参考】掛川市誌編纂委員会『掛川市誌』(掛川市、一九六八)


【執筆者:瀧沢行彦】


津市寿町。地島山宝船院。伊勢教区№六三。開山は笈誉露牛、慶長元年(一五九六)の創建。露牛は岩槻浄国寺出家ののち、諸檀林で修学し、慶長初期に津に赴き、城主富田信濃守に懇請して当寺を開いた。同一三年、藤堂高虎の津移封後は、その帰依を受けた。明治以降二度の火災に遭い、現存するのは、焼失を免れた本尊阿弥陀如来座像のみである。


【資料】『蓮門精舎旧詞』一四


【執筆者:水谷浩志】


奈良県高市郡高取町松山。月松山円照院。奈良教区№一五九。永禄年間(一五五八—一五七〇)の建立である。開山は不明。松山城主の松山氏の菩提所で、元禄年間(一六八八—一七〇四)には石塔があった。慶長一三年(一六〇八)、央誉重信が中興となり再興した。重信は、鎌倉の生まれで、天然寺に住した後は同町市尾の如来寺に移り、七八歳で入滅した。重信の後、平僧や道心の者が寺を相続した。


【資料】『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)


【執筆者:三宅徹誠】