京都府綴喜つづき郡宇治田原町大字湯屋谷小字上西谷。金剛山地蔵院。京都教区№四五六。元正天皇のとき、行基が興福寺の末院として開創したと伝わる。はじめ湯原寺と号していたが、大福山長福寺の地蔵(大福地蔵)を遷座した際に、現寺号に改めたという。天正三年(一五七五)、戦火によって諸堂を焼失するも、道源により浄土宗寺院として復興した。寛永五年(一六二八)には、中興開山の覚誉正善が本尊に阿弥陀如来を安置している。なお江戸期に触頭ふれがしら寺院となった。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)、『長福寺由緒書』、『末山触頭牒』
【執筆者:加藤弘孝】