寛文一二年(一六七二)—元文六年(一七四一)一月二三日。広蓮社貴誉。字あざなは徳海。下総国小金(千葉県松戸市)の高城氏に生まれる。生実おゆみ大巌寺一一世了也のもとで出家修学し、了也が増上寺や伝通院に入山する際なども随従した。のちに知恩院四七世となる見超とともに「縁山の二虎」といわれ、盛んに論議を交わした。その後、讃岐城主の懇請によって、同地法然寺の住職となり、教化活動に尽力した。
【資料】『新撰往生伝』四(浄全一七)、『三縁山志』八(浄全一九)
【執筆者:大屋正順】