ただ一心に阿弥陀仏のみを仰いで、その救済を信じること。往生を願う愚鈍念仏者のたどり着くべき信仰態度である。聖冏は『教相十八通』上で、単信大信を説くなかで「ただ心には助け給えと存し、口には南無阿弥陀仏と唱える計ばかりなり。是を単直仰信の正機と云う」(浄全一二・七四〇下)と述べている。また関通は『一枚起請文梗概聞書』において、『一枚起請文』の「往生極楽」から「別の子細候はず」までを単直仰信の機とする理解を述べる。さらに法洲は単直仰信を「我門の正機」(浄全九・二九〇下)と説いている。
【参照項目】➡単信の大信
【執筆者:鷹觜観道】