万延元年(一八六〇)—明治三七年(一九〇四)二月一五日。信蓮社譲誉仁阿。尾張国海西郡弥富村(愛知県弥富市)に佐藤弥七の子として生まれる。増上寺で宗乗・余乗を学び、明治一二年(一八七九)に幡随院の住職となった。同一九年に宗議会議員となり「浄土宗制」「寺法」の制定に尽力した。同二六年に管長顧問、同二八年に宗務執綱を歴任し、祠堂建設や軍隊慰問などを積極的に行った。同三〇年に宗務執綱辞任後は、軍隊布教師や第一大教区宗会議員を歴任した。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:齋藤知明】