上田貞雄
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:20時点における192.168.11.48 (トーク)による版
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うえだていゆう/上田貞雄
明治二四年(一八九一)一一月一一日—昭和五四年(一九七九)二月二四日。操蓮社節誉守阿。字は松巌。宗門功労者。教育者。現在の福岡県柳川市に生まれ、明治三八年(一九〇五)上田鳳林に師事して得度、大正八年(一九一九)宗教大学研究科卒業後、鎮西中学校教諭となる。同一〇年に同校を去ったが、昭和一九年(一九四四)同校校長に就任し、学制改革に伴い同二三年に鎮西学園鎮西中学校校長兼高等学校校長となる。以後、熊本県私立学校審議会会長、日本私立中学高等学校連合会常任理事を歴任、同三五年には真和中学校、同三八年に真和高等学校を創設して校長に就任、また鎮西学園理事長を務めた。大正一一年(一九二二)から昭和二三年(一九四八)まで福岡香円寺住職を務める。同四五年度宗門功労者表彰。
【参考】坂田大『上田貞雄伝』(蘇麓社、一九七五)
【参照項目】➡鎮西学園
【執筆者:齊藤舜健】