禅勝房
提供: 新纂浄土宗大辞典
ぜんしょうぼう/禅勝房
承安四年(一一七四)—正嘉二年(一二五八)一〇月四日。遠江国(静岡県周智郡森町)蓮華寺で天台宗を学び、建仁二年(一二〇二)二九歳のとき、蓮生(熊谷直実)を訪ね、その紹介で法然の室に入る。在室二年足らずで帰国したと思われるが、今日彼の名によって伝えられる法然の法語は三二話を数え、心に沁みる法語として多く引用されている。帰郷後は大工をしながら念仏の道に励んでいたが、嘉禄の法難で流罪になった隆寛と、国府見付(静岡県磐田市)で再会を果たし、以後化他の行にも励み、宝治三年(一二四九)蓮華寺七二代住持となる。蓮華寺「世代書」に「遠州念仏宗の開祖」とある。また蓮華寺の裏山には「禅勝上人」と刻まれた古い五輪塔がある。
【資料】『四十八巻伝』四五(聖典六)、『翼賛』(浄全一六)、『法然上人秘伝』中(『浄土仏教古典叢書』国書刊行会、一九八四)
【参考】『天台宗八形山安住院蓮華寺』(蓮華寺、二〇〇四)、梶村昇『禅勝房』(東方出版、一九九四)
【執筆者:梶村昇】