勢至堂
提供: 新纂浄土宗大辞典
せいしどう/勢至堂
勢至菩薩を祀る御堂。知恩院の勢至堂は、もと大谷の禅房で法然往生の地にあり、本地堂とも呼ばれる。これは享禄三年(一五三〇)二七世徳誉光然の再建で元は御影堂であったが、慶長八年(一六〇三)からの寺域拡張・諸堂建立で、中段の新殿(現・御影堂)に法然の御影を遷したため、法然の本地とされる勢至菩薩の像を壇上に安置して勢至堂と呼ぶようになった。金戒光明寺の勢至堂は、開祖大師本廟・御廟堂とも呼ばれ、延宝四年(一六七六)金屋友竹らが発起して堂を建て、法然の分骨を納めた五輪石塔上の厨子に勢至菩薩像を安置する。知恩寺の勢至堂は現・阿弥陀堂の地にあったが、文化七年(一八一〇)五四世順誉祐水が現在地に移している。知恩院の勢至堂と本尊の同勢至菩薩像は国重要文化財。
【参考】『知恩院史』(知恩院、一九三七)、『黒谷誌要』『百万遍知恩寺誌要』(共に浄全二〇)、『本山黒谷略縁起』(安政五年〔一八五八〕刊)
【執筆者:山本博子】