仏や菩薩が、衆生の種類・能力(機類・機根)に応じて、それぞれに適切な教化をすること。『四十八巻伝』三二「登山状」に「その穢土にして正覚を唱うれば、随類応同の相を示すが故に、命長からずして疾とく涅槃に入りぬれば…」(聖典六・五三一/昭法全四二七)と言い、穢土成仏の仏(化身)が涅槃に入る相を現すのは、穢土の衆生の能力に応じて教化するためである、という例に用いられている。
【執筆者:曽和義宏】