下炬
提供: 新纂浄土宗大辞典
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あこ/下炬
引導をわたす儀式。下炬は秉炬(「へいこ」あるいは「ひんこ」)ともいい、下火とも書く。下炬とは『啓蒙随録』初篇に「正しく荼毘の火を加うるなり…吾が宗古来下炬に即して引導する式なるべし」(『明治仏教思想資料集成』二・二二五上)とあるように、遺体を焼く薪などに火を点ずることであった。後にはその作法を意味するようになり、さらに引導文を合わせたものをも意味することとなった。現在では葬儀式のときに導師が炬火を持って引導の句を授けることをいう。
秉炬の用例は『仏本行集経』に「秉炬欲破世間昏」(正蔵三・七八八下)とみられ、煩悩の闇と世間の闇を破る喩として用いられている。また、火葬における故事として、『大愛道般涅槃経』(正蔵二・八二三上)や『浄飯王般涅槃経』(正蔵一四・七八二中)には釈尊の火葬を迦葉が燃やした栴檀薪で行ったことがあげられる。それをうけ葬儀における用例では『禅苑清規』に「住持已下焼香略声法事。下火訖(当有法語)」(続蔵六三・五四一中)と亡僧の葬儀に規定され、『大慧普覚禅師語録』(正蔵四七・八六二下)、『勅修百丈清規』(正蔵四八・一一二八下)や『法演禅師語録』(正蔵四七・六五三下)等にも多くの用例がある。また日本でも特に禅宗を中心にみることができる。たとえば大休宗休(一四六八—一五四九)の『見桃録』や『小叢林清規』などにみられる。浄土宗では証誉文龍(一六世紀中頃)の『無縁集(徹心葬送次第集)』には「下火を偈誦し松明を彼所に投げ云々」とあるように下火=引導の意味で用いられ、『諸回向宝鑑』などでも同じようである。浄土宗での下炬を用いる意味合いは『無量寿経』下の「なおし火王のごとし。一切の煩悩の薪を焼滅するが故に」(聖典一・二五八~九/浄全一・二三)に基づいて理解されている。
下炬のときに一句(法語)を述べる典拠は黄檗希運(—八五〇頃)の次のような故事に基づくとされている。希運は得悟するまで、情にひかれるのを避けるため、故郷の母に安否を知らせなかった。母はわが子希運の安否を何としても知りたい一心で、福清渡という河の渡しで旅籠を始め、旅人の足を洗うことにした。目の悪かった母は足を洗う時、希運の足にあった大きなこぶ(一説にはあざ)を手がかりに、わが子を見つけるつもりであった。百丈のもとで得悟した希運は故郷に至り、なつかしい母に会った。しかし、こぶのない片足を二度出して洗ってもらい、名も告げず旅籠をあとにした。後でその僧がわが子と知った母は希運を追いかけたが、目の悪かった母は誤って河に落ち溺死した。それを知った希運は船上から母を探し、「一子出家すれば九族天に生ず。もし天に生ぜずんば、諸仏の妄言なり」と唱え、炬火を擲て燃やす。両岸の人々は皆、その母が火炎の中で男子の身となって大光明に乗じて夜魔天宮に上生するのを見た。後になって官司(役人)が福清渡を改めて大義渡となした。この故事は『韻府群玉』(一三〇七)に記されているものであるが、同書が何に依ったのかは不詳である(巻一二・四一「黄檗母」、巻一三・四三「足心誌」)。『百通切紙』三には「黄檗禅師、母を引導してより禅家に引導す。禅家の引導を見て他宗も意を以て引導すと見えたり」と記すように禅宗の作法に他宗が倣ったようである(五七 有他宗引導当流無之事)。
【執筆者:大澤亮我】