—寛永一七年(一六四〇)五月二日。円蓮社。下総の人。船橋浄勝寺の文誉にしたがい得度。その後増上寺に掛錫かしゃくして修学、博学で群籍に造詣が深かったため「論士の首」と称された。後に浄勝寺に帰り宗要研鑽にはげみ、念仏を称えながら西に向かって五月二日寂した。
【資料】『鎮流祖伝』七(浄全一七)
【執筆者:田中芳道】