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舜昌

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しゅんじょう/舜昌

建長七年(一二五五)—建武二年(一三三五)正月二五日(一四日とも)。姓は橘氏。近江国志賀(大津市)の人。『四十八巻伝』の作者。一一歳で比叡山に登り隆真(一説に唯真)に従って出家。顕密を修めて法華三昧を感得し、功徳院に住して法印に叙せられた。その後、浄土教に帰し知恩院八世如空に師事。徳治二年(一三〇七)ごろ後伏見太上皇より円光大師の伝記を編修するよう命を受けた如空が、弟子舜昌にその撰述を命じたため、『勅修御伝』や『四十八巻伝』などの通称で知られる『法然上人行状絵図』四八巻を著述した。また『九巻伝』として知られる『法然上人伝記』九巻も著述した。如空は延慶四年(一三一一)正月二五日に『四十八巻伝』を捧げて宗祖大師の一〇〇回の遠忌を修し、舜昌はその編纂の功により知恩院九世の別当に補せられた。比叡山の徒には他宗の祖師の伝記を編纂したことを批判するものがいたので、これに応酬するために『述懐鈔』一巻を著述。建武二年正月二五日(一説に一四日)に八一歳で寂した。


【資料】『知恩院史』(知恩院、一九三七)、『鎮流祖伝』四(浄全一七)


【参照項目】➡法然上人行状絵図法然上人伝記


【執筆者:田中芳道】